人生の深みを考えてみるブログ

~現代社会になかなか見当たらない”価値あるもの”を探して~

心を揺さぶられた出来事

このブログを書いている以上、タイトル通り、何か自分の琴線が触れられたことを書いていきたいと思うが、やはり自分にとってそれは「人の温かさに触れられた」時だと思う。自分が本当につらいときに手を差し伸べてくれたり、何かを与えてくれたり、そんなときに非常に心を揺さぶられる。

 

いくつかあるが、今日ふと昔のことを思い出した。社会人でタイに一人で旅行に行ったとき、あるホステルにとまった。バンコクにある「Grey Sheep Hostel」というところで、まあどこにでもあるようなドミトリーの部屋だ。年末年始の長期休暇で行ったのだが、そこは自分と同じくらい、もしくはそれより少し若い男の人とその妹と2人で経営されていたと思う。僕はチェックインすると、まあ特にすることもなく、ドミトリーでYoutubeを見てぼーっとしていた(確か、移動や観光で少し疲れていたのだと思う)気づくと夜になったのだが、そのホストがなんと「ご飯にいこう」とラフに誘ってくれて一緒にいろいろなところへ連れて行ってくれた。地元の屋台やスイーツ屋だったと思う。多分、一人で来た自分を気遣ってくれて、誘ってくれたのだと思う。タイのことをいろいろと教えてくれて、僕らはつたない英語でコミュニケーションをとった。自然が好きだというと「クラビ」というところがおすすめだと言われ、その翌日の夜行バスでクラビへ向かった(僕のカウントダウンは一人、夜行バスの中で迎えた 2階建てのバスの中には2,3人ほどしか人はいなかったと思う)

 

なので、確か、クラビに行く前は1晩(もしかすると2晩かもしれない)しか共にいなかったのに、びっくりしたのはその翌日に男の人から、妹はもともと予定があって、今日香港に行った、その妹からプレゼントを預かった(お年玉?)といって僕に小銭入れをプレゼントしてくれた。昨晩はそのようなそぶりも全くなく、たった一晩一緒に食事しただけの僕にである。(もちろん、ここでよくある恋愛どうこう、という話ではない。皆さんもお分かりの通り、僕はモテたりはしないのだ・・・残念ながら)

 

こういう家族のようにフランクに接してくれ、しかも押しつけがましいわけでもなく、自然体でお互いいれる関係というのは本当に素晴らしいし、おそらく気遣いではなく、本当に自然に贈り物をくれたのが本当にうれしかった・・・

 

クラビからバンコクに帰ってきた後も、男の人とは飛行機が出発する直前まで遊んだし、多分、僕よりあまりお金がないだろうに、気づかれないように少し多めにもいろいろ出してくれたりもした。

 

おそらく、僕が再び彼の元を尋ねることはないかもしれないし、彼が僕に対してよくしてくれたからといって、彼にメリットがあるとは考えにくいだろう。その状況でも、親切にしてくれたことがうれしかった。

 

社会人になり、ビジネスの世界に足を突っ込んで、利害関係やコストメリットなど、自分のリソースを費やした先の「対価」やその「効果の度合い」を気にし、日常生活にもそういった考えが浸透してきている自分から見ると、その人はあまりにも尊い

 

限りある人生の中で、自分も他者に対してこのような「贈り物」を与えることができるのだろうか。その贈り物には対価を求めず、ひいては「喜んでほしい」というような邪念もなく、ただ相手を思い、贈ることができるのだろうか。

 

もう一つ、沖縄でも似たようなことがあったが、それはまた別の機会に書くとしよう・・・