人生の深みを考えてみるブログ

~現代社会になかなか見当たらない”価値あるもの”を探して~

沖縄で出会った”秀斗”という少年

資格試験も終わったし、何となく今日は寂しいし、記事を書こうと思う。

大学5回生の夏に、一人旅で沖縄へ行った。那覇へついて、適当に宿を探していると、確か一泊1500円くらいのゲストハウスがあった。何も考えず予約してみた。木造の建物で簡素なゲストハウスだったが、ユン卓といって、みんなで囲んでごはんを食べたり、お酒を飲んだりするらしい。たちまち、他の旅行者と仲良くなった。埼玉から来ていたカップル(結婚おめでとう!)、ダイビング旅をしている人、商社の一般職とアナウンサー、同じ大学出身のぶっ飛んだスタッフ、同性愛者の人(後にいろいろされたがここでは怖くて言えない笑)などだ。飲み屋も併設されていて、ごはんを食べて、横の宴会場へ言って、とにかくみんなで楽しんでいた。こういうゲストハウスには地元の人も集まるのだが、そこで僕は中2の秀斗という少年と仲良くなった。坊主頭で野球少年で母親と一緒に暮らしているらしい。すごく内気なやつで余り話さず、余り他人に心を開きそうな様子ではなかったが、僕が積極的に話しかけたり(もちろん僕はコミュ障なので泡盛の力がなかったら会話なんてできなかったかもしれない)、そもそも僕がいじられまくっていたから、秀斗も僕をいじるようになって仲良くなった。旅行に来たのになぜか秀斗と2人で映画を見に行ったりもした。地元でしかいかない店に連れて行ってもらったりした。僕はそういうのが好きだ。観光客のために作られた観光スポットを回るなんかよりも、地元の人が愛し、慣れ親しんでいる文化に触れたいと思うからだ。母親は秀斗をものすごく優しく見守るような、一見放置しているようで、すごく愛情を持っているような気がした。でも、何か話していると過去にツラいことがあるような、傷があるようなそんな気がした。(僕はたまにこういうのに敏感に気づくことがある)だからこそ、という訳ではないが、一層気にかけて、楽しく遊ぼうとしていた。この予想は的中して、何かの会話の中で父親の話になり、彼ははっきりと「死んだ」と言っていた。それがとても印象に残っている。彼のあっけらかんとした口調がより一層、その裏の悲しみや苦しさを想起させた。母子家庭だということは何となく雰囲気で分かっていたが、やはりそうだったのか。

とてもいたたまれない気持ちになったが、もちろんそんな同情をかけるのは自らのエゴだし、僕は気にしないふりをして接していた。その後、石垣島へ飛び(これもノリで決めた)離島をめぐり1週間ほど経った後に帰ってきた。

その後、どういう経緯かは分からないが、地元の人が僕を地元のよさこい祭りに招待してくれ、一緒に行くことになった。その時、秀斗と彼の母親もいたのだが、母親は僕とはそれまでほとんど会話も交わさず、話したこともなかったのに、当たり前のようにコンビニが売店かでごはんを買ってくれ、当たり前のようにくれた。これもなんかとんでもなくうれしかった。正直、話を聞いていたり、様子を観察している限りでは失礼ながら裕福な家庭、という訳ではなさそうだったが、当たり前のように僕を歓迎してくれ、もてなしてくれた。秀斗と仲良くしているのも知ってくれ、感謝の念もこめて、だったのかもしれない。(これは誇大妄想かもしれない)その後も、家族同然というのは行き過ぎかもしれないが、何もいわず、当たり前のように親しい人として接してくれたのを覚えている。母親を通して、秀斗と心が通った気もしてうれしかった。連絡先は交換しているが、もちろん今は連絡をとってない。連絡はとっていなくても、幸せになってほしいと思っている。そもそも、そう思える人がいて、そんな人と出会えて、交流できたということが幸せであり、生きててよかったと思えることなのかもしれない、と最近思う。あいつ元気かなあ。今やと二十歳くらいやなあ。(おわり)