人生の深みを考えてみるブログ

~現代社会になかなか見当たらない”価値あるもの”を探して~

思ったことをつらつらと

①〇〇よ、受験に失敗して、何者になるか迷ってて、

 コンビニでバイト暮らししてて、そんな自分が不安だ、というようなことを言ってい

 たが、まあ人間みないずれ、最後には灰と塵になるだけだし、何者かにならないと

 いけないとか、何か成し遂げないといけないとか、周りと比較してどうこうとか

 悩んだり、不安になる必要なんてないと思う。今はそんな暮らしかもしれないが、

 将来誰がどうなっているか、なんてわからないし、もしかした君はとても立派な人になるのかもしれない(立派な人≠金持ちとか、名声を得た人とか、そういうことではない、また、今が立派でないということを言うつもりもない)。いくら富や名声を得ても、あの世にはおそらくもっていけないだろうから・・・・(富や名声を得ることを否定している訳でもない)

まあ、だからといって、というか、だからこそ、どう生きるかということは重要であって、そこが問題になるのだが・・・・・

なので、君も僕も、どのように生きたいか、もう少し一緒にのんびり腰を据えて考えてみるとしよう

 

②そう、上記にも書いた通り、「ただ生きるのではなく、善く生きる」(ソクラテス)ことが重要なのだ。最近、思い返したとき、善く生きていただろうか?ハッとさせられた。あなたにとって「善く生きる」ことは何を指すのか?

 

③お悩み相談でよく「●●で悩んでます~」「ああ、それは研究や論文で明らかになっていて、××という現象でそれには△△という対処法で解決できるってことが示されていますよ~」なんてことがあるのだが、人にとってはこんな解決のされ方、たまったもんじゃない。自分の悩みはその他大勢のデータとは違う。それはほかでもない「私」がもっているものだ。それなのに西洋的な分断をされ、紋切り型の対処法を示されるなんて、凡そ人の心に寄り添ってなんかいない。(ただし、こういう形が救いとなることもある)だから、Kさんの東洋医学的アプローチも加える(「祈り」などの一見、非科学的に見える方法)ということは確かに素晴らしいと思った。そもそも、全てを科学的に分析・診断・治療することは正しいのだろうか?(もちろん、社会の在り方や仕組み上、今のところは科学的アプローチをとることが最適解であるということは認める)