社会貢献とは?
先日、大学の友達と話したこと
「おまえ、最近仕事どうなん?」
「転職活動してんねん」
「へーそうなんや。またベンチャーで成長したい感じなん?」
「いや、社会貢献したくて、そういうとこ受けてる」
「へーなんかめっちゃ意外。お前ってそういう考え大学の時あんまなさそうなイメージやからちょっとびっくりしてる。」
「そうか?」
「うん、で、どんなことしたいん?てか社会貢献ってなんなん?」
「最近は金融の決済端末とか、ああいうのは割とマジで社会変えるインパクトあると思ってる。そういう人々の生活にインパクト与えることしたいなあ」
「なるほどね、それが社会貢献のお前の定義なんか。」
「そうそう。」
「おれもさ、今の会社選んだのは社会貢献できるから、っていう話でさ、海外のインフラ整備とかしたいなあと思って入ってんけど、なんか違うなーって感じ。おれとお前の社会貢献って、意味合い違うよな」
「というと?」
「お前は人々の生活水準をより上げたいけど、おれはなかったらヤバイ、生きていけへんみたいなものを引き上げるというか、お前が0から+へ、俺がーから0へっていうイメージ」
「なるほどなるほど まあてか、そもそも社会貢献って何なんやろうな」
「それな 結局世の中に価値生み出してる時点で社会貢献よな 会社が利益あげて中の人の雇用生み出してるのもそうやし、ようこういうときに利益追従と反対の意味として取り上げられて利益優先することを批判されるけどそんなこと全くないよな」
「それほんま思うわ 金稼いでそれを寄付するとかの方がおれらの取り組みより断然効果的なんかもしれんし」
「どんな社会貢献をしたいか、っていうのとどういう形で、っていう問題あるよな」
「でも今の自分の生活というかさ、楽なら楽したいっていうのを守りたいのもあるよな 正直待遇落としてまでやりたいというとそうでもないよなあ」
「それなあ 俺らって弱い人間よなあ」
「てかさ、なんでお前は仕事いまいちって思うん?」
「海外インフラ整備っていっても、結局、それって色んなステークホルダーかみ合わんとできへんしうちはその一部しか担ってへんし、結局、企業やから利益をあげれるならやるってだけであんまほんまに社会貢献したいっていう思いでやるわけではないんよなあ」
「じゃあNPOとかやん」
「そうやねん でもそこへ飛び込む勇気があるかというとなあ はあ弱いなあ」
「うーん、まあそんなことないんちゃう?」
「そうかなあ 俺ら学生の時なら、迷わず飛び込むというか、そういう気概持ってた気するねんけどなあ」
「まあな」
「てか、お前にとっての社会貢献ってなんなん?」
「結局さあ、おれは社会全体の幸福の総量を上げることやと思ってるねん」
「あーそんなこと言うてる昔の人おったな J.S.ミルとかやっけ?」
「忘れた まあだから、それに携わることしたいなあと」
「そんなんでも、幸福って難しいやん 例えば俺のケースでいくとさ、未開地域にインフラ整備するとして、それが彼らの文化・生活様式変えて、不幸にさせてまうこともありえるやん」
「まあ確かにそやな ブータンとか幸福やもんな つまり比較をしてしまうと不幸になるってことよな」
「あーあれこそまさにそうでさ、結局あそこって、外部からの情報入れるようになって結局幸福度ランキング下がってんで」
「へ―知らんかった そうなんや」
「だからさ、そういうのってエゴの押しつけになってまうよな」
「そうやけど、相手がどうしたら幸福なんかを想像するまではエゴではないんちゃう?
それを押し付けるのがあかんだけで、それを持ってこうしたら?を提案するまではそうでもないと思う」
「たしかにそやな お前ええこというやん」
「まあな」
「幸福の総量ってどうやってあげんの?」
「革命や 革命するしかない 人々の価値観とか比較することとか
根本的な枠組みをひっくりかえすんや」
「(あー大学のときもこいつそんなぶっ飛んだおもろいことゆうてたなあ)
あーね、確かに一理あるっちゃあるかも」
「マルクスも結局比較することから逃れられん限りはあかん、みたいなこと言うてたきがするねん」
「ほーん、知らんかったなそれ まあ転職活動がんばれよ てかまともな話しておもんないからしょーもない話しようぜ」
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思ったこと J.S.Millの幸福論よもーっと
※J.S.Millは「幸福論」ではなく、「On liberty」(自由論)でしたね。こんなしょーもない間違いをするまでに落ちぶれてしまいましたね・・・・