人生の深みを考えてみるブログ

~現代社会になかなか見当たらない”価値あるもの”を探して~

運命への姿勢~ものぐさハインツ~

独身者のハインツはものぐさで、毎日の仕事である、山羊を毎日牧場へ追っていくことがいやで仕方なかった。そこで近所のトリイネという山羊を一匹飼っている娘と結婚し、ついでに自分の山羊も追ってもらおうとした。結婚後、トリイネもハインツ同様ものぐさだったので、山羊を追っていくのが面倒なため、隣人の蜜蜂と交換することを提案する。ハインツも同意し、山羊と蜜蜂の巣箱を交換した。秋になり、蜜蜂を収穫し、それを壺の中に入れて棚の上に置いた。トリイネは盗みに来たものを追い払うために頑丈な棒を置いた。ハインツはトリイネが一人で蜂蜜を全部舐めてしまうのが心配で、代わりに鵞鳥を買おうと言った。トリイネは鵞鳥の番をするのが億劫なので、子供を産んで、その子供が鵞鳥の番ができるようになるまではダメだと言った。ハインツは近頃の子供は親のいうことは聞かないと反論。トリイネはそんな子供はこうしてくれればいい、といいって棒を振り回しているうちに、大切な壺を叩き落した。蜂蜜がこぼれるのを見たハインツは「おれの頭の上に落っこちなかったのはしあわせだ。何事も運とあきらめなけりゃいけないもんだ」といい、かけらのなかに少し蜂蜜があるのを見て「この残りかすを2人でごちそうになり、それで、びっくりしたから少し休もうや」といい、トリイネもそれに賛成した。

 

・・・ここには運命(というと、ここでは少し大げさかもしれないが、少なくとも起こった出来事)に対してどうするか、という姿勢が表れている。

 

蜂蜜を落としてしまったことに対し、ふつうは慌てふためいたり、自らが被った損害を嘆くはずなのだが、ここではそれをあっさりと受け入れている。

 

よく、運命に対する向き合い方は2元論でとらえられ、「運命に従うか、抗うか」で対比される。運命を受け入れると、幸福にはなる、と言われているが、そればっかりだと成長はなくなってしまう。運命に抗い、立ち向かい続けた人も、そのために後遺症の残るダメージを追ってしまったりする方もおられる。どちらがいい、とは到底語るのが難しい。

 

そもそも、運命は自分の意思とは無関係な偶然の産物だ、という考え方と、
今までのすべての選択の結果だ、という考え方もある。これも先ほどの運命への態度とかかわってくるのだと思うのだが、すべてが偶然の産物で自らの意思とは関係なく、運命に従おうというばかりだと自分の意思や行動は無駄だという考えに繋がってしまう。かといって、もう一つの考え方だと、身の回りで起こることはすべて自責に繋がり、これもこれで精神衛生上あまりよろしくない。

 

よくあるバランス論、というありきたりの結論になってしまったが、皆さんはここから何を考えられますか・・・?