連載~幸せについて~
さて、だいぶ期間も空いてしまって、パラサイトの投稿もないままだが、ちょっと気が向いたので他のことについて書いてみたい ~幸せについて~である
学生のときから、幸せとはなんだろう、とよく考えていた。世の中には、どうしようもない不平等・理不尽さがあり、これは生まれながら備わっている場合もある
出生地が戦争地帯で早くして命を落としてしまった人もいる一方で、自分はというと恵まれた日本という国に生まれ、仕事をし、後は自堕落な生活を送っても何とか毎日生きていける訳である。僕なんかより、人生に強い意味を見出し、強い意志を持って生きただろう人はたくさんいるだろうということに思いを馳せると、なんとも言えない気持ちになってくる・・・
その中で、じゃあ、生まれて間もなく命を落としてしまった赤ん坊が「幸せな人生だったのか?」ということを端に考え始めると、そもそも私たちの幸せとはなんだろうということになってくるわけである。
これに対する答えはまだまだ分からない。だが、幸せとは何か、自分も考えながら、他人の知恵や本も参考にしながら、これまで考えてきたこと、考えていることについていろいろと書いてみたいと思う。直近は昔読んだ「河合隼雄の幸福論」の中で述べられているものを紹介しながら、いろいろと書いていきたいと思う
読者(多分全然いないけど)の方と少しでも何かを共有できたり、伝えれたり、心の交流があったら幸いである。
パラサイト考察第2回~”匂い”について~
さて、前回の予告通り、パラサイト考察の続きを行っていきたい
今回は”匂い”について
a)”半地下の匂い”とは何を指すのか?
b)なぜ、”匂い”なのか?
を考えていきたい
a)"半地下の匂い”は何を指すのか?
→これは簡単だと思う。半地下とはまさに、物語のはじめにも出てくる通り、
地上に立っている家ではなく下水道や地面の高さに窓があるような家で暮らしている
人たちに染みついてしまった匂いのことで、”貧しさ””格差”の象徴として
考えてよいだろう。地上の家で暮らしている人たちにはつきようがないものであ
り、それゆえ、半地下一家と地上に住む一家を区別してしまうものであり、
最終的にはギテクがドンイクを襲った原因にも繋がっていたものだろう。
ここの匂いについては、ダソンが最も早く察知し、ダヘが最も鈍感であったこと
も興味深い。ここについては後程取り上げる。
b)なぜ、”匂い”なのか?
→映画の監督あるいは制作者に意図があるかはわからないが、格差や貧しさの象徴を
”匂い”に表現したことに意図はないのだろうか。真意はもちろんわからないが、
次のようなことを考えてみた。”匂い”というのは、通常受動的に知覚するもので
ある。私たちは通常、誰かに言われるか、もしくは、何かしらの違和感を感じない
限り、意識的に匂いに注意することはない。つまり、無意識的に知覚してしまう
ものなのである。ということは、この映画における匂いが象徴しているものー
”貧しさ””格差”他人との隔たり”ーについては、いくら意識的に
”気にしないようにしよう”と言葉に出したり、行動に出したりしようとしても、
それを完全に排除することができない。ここに格差を無くしたり、格差について
考える難しさがある、ということがここでは言いたかったのではないのだろうか。
最後のシーンで、ギテクがドンイクを襲ったシーン、ここにもこのメッセージが
隠されていると思われる。完地下の男がギジョンを襲い、それを見たダソンが
倒れてしまった。ドンイクにとっては一大事であり、一刻を争う重要な場面である。
ギジョンのことを無視し、ギテクに車のカギをよこせと言うほど切羽詰まっている
にもかかわらず、そこでも半地下の匂いに顔をしかめているのである。
つまり、身分関係なく、お互いの一大事で、利害関係なく助け合わなければならない
もしくはそこに目を向けている場合ではないときでさえ、そのときでさえ、無意識に
半地下の匂い=”格差”を我々は感じずにはいられない、そういうメッセージを
投げかけているのではないだろうか。
自分もこの間、あるコミュニティの人と会話する機会があり、そこでの余りの
考え方の違いや差に驚いて、しばらく唖然として何も話すことができなかった。
(もちろん、どちらがいい、ということではないし、自分の方が上だった、
と言いたいのではない。(差を感じてしまうことと、お互い無意識で相手より
自分が上だと思ってしまうことが問題なのだ))
日常的に、我々は無意識に他人との差を感じ、引いてはそれを何かしら
外面的な態度に出してしまい、それも相手が何となく感じ取り、それが積み重なる
ことで壊滅的状況を招く、なんてことはどこの誰にでもある話だと思う。
ここまで書くと、希望がないような気もするし、自分もそう感じていたのだが、
他の方がされていた考察でとても素晴らしいものがあった。
それはダヘとギウについてである。ダヘは唯一といってよいほど、”匂い”に対して
気づいていないと思われる。ギウとあれだけ近距離で長時間いるのにも関わらず、
である。それはなぜかというと、恋をしていたから、だと考察していた方が
いらっしゃった。恋による盲目性、あるいはそれに付随する相手を無条件で受け止める愛(こう書くと、”匂い”には気づいていたが、受け止めていた、ということになるのだが)が”匂い”、つまり”格差”を乗り越える鍵、希望となるということだ。
みんなで愛を持とう!なんてそんなクサい台詞は口が裂けても言えないが、
ここから先は皆さまにお任せすることにして、この話を終える。
映画”パラサイト”考察
最近、地上波でも公開され、再び話題となっている”パラサイト”
1年前に見たけど、改めて考察してみた。(完全ネタバレです。)
是非、何かコメントあれば、お願いします!
1.ギジョン(キム一家の娘)
はなぜ一人、命を落とすことになったのか?ー水害時のシーンより考察
物語のクライマックスであり、大きな考察ポイントの1つである「ギジョンの殺害」
について考察したい。なぜ、ギジョンだけが命を落とし、他のキム一家は生き延びたのだろう。水害時に各家族が持ち出したものに、その原因が伺えるのではないかと考えた。
水害時で、半地下の家がまさに水没する時、彼らは家に戻ってくる。場面としては、今まさに自分たちの住居が失われる訳であり、そこで持ち出すものは、ある意味登場人物の最も大切にしている価値観が現れていると考えてよいだろう。実際に持ち出したのは以下である。
ギウ・・・石(庭石、水石)
ギテク・・・妻のメダル
ギジョン・・・タバコ・お金
これらは一体何を象徴しているのだろう。
ギウについては、水石を持ち出した。これはミニョクから貰った
ものであり、そのミニョクとはまさにギウの憧れの人であり、ギウの送りたかった人生でもある。貰った後にミニョクの代わりに家庭教師として金持ち一家に寄生し、一家含めて人生が好転している。(途中までは)
他の多くの人も考察しているが、ギウにとってこの水石は
”転機をもたらすもの””希望”の現れだと思われる。(別の視点で”学歴”や”学歴社会に代表される価値観”と考察しているのもある。無論、その意味を持つとも思う)
ギウにとっては水石を持つことによって「今は苦しい現状だが、計画を立てて実行すれば将来はミニョクのような素晴らしい(と、ギウが思う)人生を送れるだろう」と思わせるものになっている。言い換えれば、明るい未来を想起させるものであろうか。
また、ギテクは妻のメダルを持ち出した。メダルは妻の過去の栄光の象徴である。
一方、ギジョンだけは、お金とタバコを持ち出した、ひいては、タバコを吸い始めさえした。このシーンは多くの人に”かっこいい!”と評価されている。
これらには明確な対比構造がある。
「未来」を志向するギウ、「過去」に執着するギテク、彼ら二人はそれらに執着することで、現実への直面を避けていると考えられる。
しかし、ギジョンだけは、俗物的で現在、現実に根差しており、”今・ここで”価値を持つお金・タバコを持ち出した。どちらも使うとなくなるものである。(ギウ・ギテクが持ち出したものは消費物ではないし、現物的価値があるものとはいえない)
ここに明確にギウ・ギテクとの差が現れており、一人だけ”現実に根差し、今・ここで価値あるものに目を向ける”キャラクターが浮き彫りになっている。
資本主義社会の中で成功できず、何とか生きているキム一家にとって、生活面に満足できていない中、他のものを想起することに心の拠り所を見出していた中、ギジョンはただ一人異質な存在で、キム一家にとっては、排斥されるべき存在となっているのである。それがクライマックスシーンへつながったのではないだろうか。
※ギジョンのシーンがかっこいい!と叫ばれるのは、新型コロナウイルスのような災害とも呼べるべき時期(=この作品でいう水害)で、中々現実と向き合うのが難しいなか、ギジョンのように現実に直面する姿に尊敬の念を抱いているのではないか、と考察される。(あくまで個人的な見解です。)
続きは別で
↓こんなの書こうか迷ってます
2.”匂い”について
3.”パラサイト”していたのは誰か?
4.階層構造について(あなたの心の中に完地下はないか?)
5.映画や小説を批評したり、論ずることに意味はあるのか?
好きな人
世間一般の通念として、彼女に求めるものは絶対的な安心感、心の拠り所だが、最近の自分は、それよりも、何かしらの「危うさ」-一緒にいることで、自分ひとりではできないようなdynamismが起こされることーを求めているのかもしれない
全く別の話;:「どっちが似合う?」-「どっちも似合うけど、俺はこれが好き」
転職すべきかどうか
先日、久しぶりに大学の同期と宅のみした
・仕事は”納得感”が大切
・自分の知恵、工夫、努力で付加価値を出せるかどうか、それが成果に直結しやすいか
どうか、これは重要なのかもしれない
今の自分の環境に照らし合わせるとグッと来た
決断する時は、
”どちらの選択肢を選んだ自分を好きになれるか”で選ぶ
これもグッときた
なぜ人と組織は変われないのか
人と組織が変われない理由
●7人が医師より「このまま生活習慣を変えないと、重大な病気になる」
→実際に変えたのは7人に一人
なぜ?
①人の成長を妨げるものが何か、理解していない
②人は本質的に買われない、という思い込み
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・人の知性:年齢と共に緩やかに発達
均一のペースで進まず、安定期・変革期を繰り返す
※知性≒IQ
知性の3段階(仕事の成果とも相関あり)
A.環境順応型知性ー周囲からどう見られ、どういう役割を期待されるか、
に基づいて行動 帰属意識を抱く対象に従い、
その対象に忠実に行動することを通じ、一つの自我となる
B.自己主導型知性ー自らの行動規範に基づき、行動
C.自己変容型知性ー自らの行動規範(フィルター)自体をも疑う
人間が直面する課題=「技術的な課題」+「適応を要する課題」
→どうやったら知性を伸ばすことができるか???
知性の発達を後押しするには・・・
①問題を明確に定義する
②解決策を見出す
①について
自分の知性がどの点で不十分かについてわかる必要がある
変革がなぜ難しいか?
改善目標+阻害行動+裏の目標が存在する
裏の目標が、阻害行動を認識していても、阻害行動を続けさせる
阻害行動を辞めようとして、うまくいく=技術的な課題
うまくいかない=適応を要する課題
(自分の中の別の部分が望んでいる結果を実現しようとしている)
⇒相反する目標どちらも達成しようとしている
(アクセルとブレーキを両方踏んでいる状態)
”変革を阻む免疫機能”の克服
①システムはそのまま、もっと洗練されたものへ
②不安は変化により起こるものではなく、脅威の前に無防備にいるから
知性の発達=「主体」の「客体化」
①⇒②(適応⇒自己主導):”他人の期待に沿うこと”の客体化
②⇒③(自己主導⇒自己変容):”自分の枠組み”の客体化
・・・これらは「適度な葛藤」で高まる
・挫折・ジレンマ・苦境・個人的な問題に悩まされる
・自身の認識アプローチの限界を感じる
・重要な場面で、自身の限界を思い知らされる
・適度な支援で、押しつぶされず、かといって逃れられない状況へ
”免疫機能”の3側面:変革阻止・不安管理・認識
人生の目的
人生は有限で、自分の体も有限だから、できることには限りがある
利己的で自分のことしか考えてないし、そうとした考えられないのもある
だからこそ、この一生で何か無限性のあるもの(絆であったり、美であったり、)
を追い求めようとするのだと思う(これを何とするかは人によって違う)
普遍(不変)で揺ぎ無いものと自分が繋がれている感覚にこそ生がある
※バーストラウマとの関連もあるのか?
限りのある人生だからこそ、限りのないものを求めたい、得たい