人生の深みを考えてみるブログ

~現代社会になかなか見当たらない”価値あるもの”を探して~

無用の用

荘子に「無用の用」という話がある。簡単に述べてみる。

ある大工は巨大なクヌギの木が神木として祭られているのを見るが、全く無視してしまう。舟を作ればこの木では沈むし、柱にすれば虫に食われるので、全く無用の大木だからである。ところが、このクヌギの大木が大工の夢に現れる。

 

「有用」な木は、果実のためにもぎとられて枝を折られたり、切り倒して何かに使われたりして、天寿を全うできない。結局は、自らの長所と思うところによって自らの命を縮めている。これに対し、自分は無用であろうとつとめてきた。無用なために自分を求める人もいないし、自分はおかげで大木となっている。まさに大用をなしている。

 

現代社会、資本主義社会でこのような現象が起きていると思われる。競争社会でスキルを身に着けて、市場価値を高めて・・・年収を上げて・・・周りの期待に応えて・・・世間体を気にして適齢期で結婚して子供を産んで・・・

価値観として全く否定するつもりはないが、まさにこうした搾取される立場に我々は知らずのうちになってしまっているのではないか。

自分も全く同じで、当然、会社で無用な立場になろうとする勇気もなく、自分がとった学歴なんてものはまさに「周りの期待の象徴」であって、見せかけのものに過ぎないのだが、この大木のように「自分と一致していない周りの価値観に対しては無用であろうと努め自分の考える大用のためには有用であろうとする」生き方を目指していきたいものである。

 

繰り返しになるが、自分はこんなあたかも偉そうなことを言っているけども、決してこの大木のように生きることはできておらず、大木のように振る舞う勇気も持ち合わせていない。ただ、それほど大きな被害が出ないところではささやかながら抵抗を試みて、自分らしい生き方をしていきたいと思う。

 

amzn.to